どーも、ヤギッチです♪
この3月、人生の節目を迎えた人も多くいると思います。
私の恩師でもある、つくば市立AZUMA学園吾妻小学校の成島純一先生もそのひとり。
27年間同校の教壇に立っていましたが、2015年3月31日で教員生活にピリオドを打ちます。
公立の小学校の先生には転勤があり、1つの学校にいられるのは長くても6年ほどと言われています。
27年も同じ学校で教えるのは、全国的にも珍しいのだそうです。
そんな偉業を達成したのは、今ではすっかり吾妻小学校の代名詞となっている「マーチングバンド」を先生が教えていたからだと私は推測しています。
行進しながら楽器を演奏するマーチングバンドは、楽器を学ぶことはもちろん、協調性を学び体力向上などに効果的と言われています。
先生がマーチングを教えようと思ったのは、水戸市で小学生の演奏を聴いてから。
「キビキビとした動きが格好よい。身体を動かし音楽を奏でるのは、どんな子も楽しいはず」と赴任していた、つくば市立谷田部小学校でクラブを結成。
小さな鼓笛隊から少しずつマーチングを形にし、1985年に行われた「つくば科学万博」で演奏披露するまでになりました。
吾妻小学校で幾度もマーチングの県大会、関東大会などに生徒たちを導いてきましたが、5年前に定年を迎えた際、演奏中心の金管バンドに変更することに。
しかし、児童や父母の方から「マーチングをやって欲しい」と要望があり、今は定期演奏会など限られた場でマーチングバンド活動を行っています。
信頼されている先生の演奏指導ですが、先日行われた定期演奏会が吾妻小学校での最後の指揮となりました。
定期演奏会には保護者以外にも、毎年多くの吾妻小OBが来校します。
マーチングバンドOBが「演奏をしたい」と自主的に学校へ足を運び、小学生と一緒に練習して定期演奏会に挑むこともあるのだとか。
この日も22歳のOBの指揮に合わせ、小学校6年生が演奏していました^^
小中一貫教育のつくば市では現在、独自のカリキュラム「つくばスタイル科」で小・中学校の垣根を越えた学習を行っていますが、先生曰く、既にマーチングでそれら縦割りの活動はできていたとのこと。
「縦割りの交流というのは、横のつながりでは得られないものがある。実際、自分勝手な5年生の男の子がマーチングに入部して、6年生の先輩から色々教わるようになると、尖った部分がなくなり素直になった。その子が6年生になって後輩を教える立場になって、他人を思いやる心が芽生え、今では人のために働きたいと弁理士になってるよ」
年齢の壁を越えたコミュニケーションは、素晴らしい演奏をするために不可欠。
一つの目標に向け、同じ時間を共有することで仲間との信頼関係が生まれ、異なる意見も認め合えるようになり、物事を見る目が広がります。
マーチングに限らず、じっくりと一つのものを作り上げることは、先生の一貫した指導方針。
ICT教育の一環でつくば市オリジナルタブレット端末の「スタディノート」を使った学習でも「収集した情報を単に知識として覚えるのではなく、その情報から何かを感じ、自らの考えを作り上げることができるよう、じっくり向き合うことが必要」とおっしゃっていました。
「一つの物事に長く関わることで身に付くものがある。そういうものが多い方が、小学校の思い出が色濃くなるよ」
私自身、先生の教え子なので、この発言は実感できます。
私の小学校の記憶は、運動会などの特別なイベントよりも、毎日欠かさず書いていた日記や学級新聞、毎朝走ったマラソン練習など卒業アルバムに載らない些細な日常の方が、鮮烈に残っています。
定期演奏会の後、先生の周りはたくさんの吾妻小学校OBであふれかえりました。
いつも通り、静かに笑顔で去っていきたいと言っていた成島先生。
先生を惜しんで多くのOBが涙を流していましたが、先生は優しい笑みを浮かべていました。
以上、先生と毎日交わした日記は大事にとってある!ヤギッチがお送りしました♪