どーも、ヤギッチです♪
先日、つくば紫峰学園つくば市立小田小学校で行われた「小田っ子ふれあいの日」に、映画監督の中村義洋氏が来校すると聞き、行ってきました♪
中村義洋監督に関しては以前、<映画「奇跡のリンゴ」とつくばの意外な共通点♪>でご紹介していますので、そちらもご参考に♪
「小田っ子ふれあいの日」は、小田小学校周辺に住む地域の方と児童たちの交流を図る目的で、年に1回行われています^^
いつもは、子どもたちが地域のおじいちゃんおばあちゃんから昔の遊びを教わったりとほのぼのした会なのですが、今回は25回目という節目。
地域の方に何か記念になることを…と、小田小学校出身の中村義洋監督を招くことになったそうです♪
まずは中村監督の映画「ちょんまげプリン」を上映。
こちらの映画、最後の大事なシーンに小田がロケ地として使われています。
中村監督からそのシーンの裏話が聞けました♪
「小田の場面は江戸時代の設定で…電柱のない広い田んぼの風景が必要だったんです。今、どこでも電柱があるから、貴重な景色ですよ」
「この映画は撮影スケジュールが本当に厳しくて…予算もそんな無かったし(笑)小田は日帰りで撮影ができるから、色々な意味でありがたかったです」
子どもの頃、宮本武蔵に夢中になり水のはった田んぼを海に見立て「巌流島ごっこ」をしていたという中村監督。
監督がつくばの米どころ小田で育ち、田んぼで遊んでいたことが、このシーンに繋がったのではないでしょうか^^
そして、監督の小田に関する知識の豊富さにも驚きました。
地元の方と話をしても引けを取らない…むしろ、地元の方よりも詳しいことも。
監督の故郷・小田への愛着、愛情がよく伝わってきました。
小田で育ったことが、監督の映画制作の重要な基盤となっている気がします。
そして中村監督と地元の方との会話で、小田の歴史に関する面白い出来事を知ったのでご紹介^^
16世紀前半。
大名・小田氏治は、北は佐竹氏、南は後北条氏から侵略され30年以上も小田城を巡る戦を繰り返していました。
氏治は何度も戦に負け、何回も小田城を追われる羽目に。
しかし氏治を慕っている地元民は、新しい領主に年貢を収めなかったりして(今で言うストライキ)氏治を小田城に戻そうと尽力。その努力の甲斐あってか、氏治は何回も小田城にカムバックしています。
戦争に何度負けても、小田城を守るために戦い続けた小田氏治。そんな氏治を支えようとした地域の人々。
…こんな風に地元を愛せるなんて、素敵です♪
小田城に関しては、過去につくスタ特派員ゆうママさんが<歴史・文化・自然、小田地区を行く>でご紹介してますのでそちらもご参考ください♪
さて「小田っ子ふれあいの日」では、中村監督が映画監督になるまでの経緯を話しました。
「子どもの頃は面白いと思ったことに、長時間飽きずに熱中しました。
高校3年生で伊丹十三監督の『マルサの女』を観て映画の面白さを知り、大学から映画制作を始めました。
コンクールに出しては落選していたけど『ぴあフィルムフェスティバル』で賞を獲ってから、ちょっと人生が変わりました。
伊丹十三監督や崔洋一監督の元で助監督をしながら経験を積みましたが、監督をする機会には恵まれず…その間は脚本を書いて、チャンスを待っていました。
僕は『映画監督になりたい』と思ってたら、なれなかったと考えています。映画技師や俳優など、とにかく映画に携われれば良いと思っていました」
監督の話を聞き、小学6年生の男の子が
「問題が起こっても前向きに映画を作る話が面白かった。僕は鉄道関係で働きたいと思ってるから、頑張ろうと思いました」
と感想を語ってくれました♪
小学生にも良い刺激になったようです^^
監督の、一つのことに何度も挑戦する姿勢が、小田氏治と重なって見えました。
今回、監督の話を聞いた小学生が小田っ子としてのプライドを持って、小田氏治や中村監督のように果敢に物事に挑戦していき、夢を叶えられたら素敵ですね♪
以上、ちょんまげプリンを見て、プリンが猛烈に食べたくなったヤギッチがお送りしました♪