こんにちは、つくスタ特派員ゆうママです!
以前、『小田の歴史探索!古民家「華の幹(はなのき)」』と題して、明治から残る築106年の古民家「華の幹」、そしてそこで行われている活動をご紹介したのですが、今回はその「華の幹」のある筑波山麓の小田地区の街並みを巡ってみました。
小田地区は、古くは源頼朝に仕え繁栄を誇った街。
今も当時の名残りが残る、歴史を感じることのできる情緒ある街です。
「歴女」になって、街歩きを楽しんできましたよ^^
まずは国指定史跡の「小田城跡」へ。
中世と呼ばれる鎌倉時代から戦国時代にかけて茨城南部に勢力をもった小田氏の居城であった小田城。
本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれた平城で広さは約21haに及びます。
現在は、往時の小田城を体感できる歴史広場にする復元整備工事を行っており、平成27年完成予定とのこと。
栄枯盛衰を感じいることができる、何とも趣深い深い場所です^^
小田城跡の周辺の住宅街には今も堀が残り、当時の情景が浮かびます。
平城であった小田城。敵の城攻略を防ぐためになされた複雑な道々も、歩くのが楽しい歴史ある街並みです。
その昔、小田地区にはすぐそばまで霞ヶ浦が広がり、山と水とに囲まれた豊かな土地だったそうです。
つくばは「筑波」と書くように「波」の文字が入るのは、昔の地形からきていたのですね^^
時代の流れが少しでも違っていたら、学園都市は存在せず水の中だったかも?ここ小田地区が茨城を代表する都市になっていたかも?なんて想像したりして…。
小田の街の面白いところは「こんなところにあっていいの?」と驚きを感じるほど、街の至る所に”普通に歴史的に重要な史跡が存在する”ところだと思います。
写真の「後生車(ごしょうぐるま)」は、丸い石板を一回転させると経を一回読んだこととなるそうで、車輪を回して使者への供養や後生を安泰に過ごすための祈りを行うとされるもの。
囲いの石は明治のころに建てられたものと刻印がありますが、車輪の石はそれ以前のとても古いもので、詳細は不明となっています。
住宅のすぐ横の生活道路に面してあり、庚申塚や石碑も並んでいます。
こちらの写真の「三村山不殺生界碑(みむらさんふせっしょうかいひ)」も住宅街にあるもの。
三村山(現在の宝篋山)に存在した、関東の真言律宗の一つの中心地として長い間栄えた極楽寺の一帯を殺生禁断の地とするための結界石で、1253年の作。
近づいてよ~く見るといろいろ文字が刻まれています^^
鎌倉の極楽寺が発展するよりも前に宝篋山の極楽寺が栄え、多くの石造美術品も残したので、国内で現存するものの中でも古いものが多いそうです。
病や自然災害、戦と激動の時代。石碑に託された当時の祈りや願い、そして石碑をつくる職人の腕、思い…。
小田に残された史跡を巡りながら感じることのできる、背景やそこに生きた人々の歴史。
これらの史跡の数々は、小田の街並みを楽しみながら歩いて巡ることができます。
まだまだお伝えしきれない史跡がたくさんあります。是非小田へ歴史探索に!
都市、自然、科学のみならず歴史も感じることができる「つくば」の魅力をまた発見しました♪
そして、小田の歴史をさらに深く知るには「宝篋山登山」だ!ということで近々登ります!!
以上、ゆうママがお伝えしました^^