こんにちは、つくスタ特派員のゆうママです♪
普段は都市的で利便性の高い生活を過ごしながらも、ときどき筑波山に登ったり筑波山麓の街歩きをするのが、近場でありながらちょっとした旅気分になり楽しみのひとつ。
TX沿線とは対照的に、筑波山麓の昔ながらの空気感のある懐かしい街並みが残る様は面白味があります。
今回は北条地区へ足を伸ばしてみました^^
「つくば道」の起点となる筑波山麓の北条(ほうじょう)地区は、かつて筑波山参拝の門前町として商いで栄えた街。
店蔵や土蔵、かつての面影がそこここに残り、何とも言えない佇まいがあります。
近頃は歴女と呼ばれる歴史好きの女性も多く訪れ、北条の街歩きを楽しむ方々の姿も増えていますね^^
今回訪れた北条では、商いで栄えた北条の中でもとりわけ豪奢で、地元の人々から「矢中御殿」とも呼ばれていた『矢中の杜(やなかのもり)』の邸宅公開に参加してきました。
「矢中の杜」は故矢中龍次郎氏によって建設された近代和風住宅。
昭和13年から28年にかけて建てられ、居住のための本館、迎賓のための別館、そして庭園が広がる広大な邸宅は、財を成した事業家龍次郎氏自身が設計に携わり住まいとした邸宅です。
2011年には国の登録有形文化財に登録。
豪華絢爛な居住空間、調度品がそのままに残り、昭和の上流生活や龍次郎氏の建築観を感じることができる貴重な文化財です。
古民家といわれるような住宅は各地に残っていますが、ここ「矢中の杜」は矢中龍次郎氏が建材研究家であったことから龍次郎氏の研究成果を詰め込んだ実験住宅としての様相を呈します。
現在も建材として広く使われている「セメント防水材マノール」は龍次郎氏が開発したもので、通常、瓦屋根の場合は三角の形になる屋根を「陸屋根」と呼ばれる防水構造が肝となる構造で施工し、自ら開発した防水材の効果を試されています。
ほかにも、独自の建築観が現された邸宅には随所にこだわりが。
「その土地の風土、気候に合うための工夫」として各所に通気口が施され、空気の通りの良い邸宅は湿気が残ることもカビが生えることもないのだとか。
また、皇族を招く意図もあったとされ、仏閣などに見られる格天井が玄関などに施され、随所に見られる格調高い設えには目を見張るばかりです!
建築文化の象徴的な存在であるという雪見障子から覗く庭園も、当時を偲ばせる素晴らしい景色を見せてくれます。
当時は毎日庭師が2名ついていたとのこと。
本当に豪邸…このような暮らしをしていた方が昭和のころにつくばにいたなんて驚いてしまいました^^;
と、ガイドさんの受け売りですが、すごいでしょう?
現在同じような住宅を造ろうとしたら数億もの資金が必要なうえ、材木も手に入ることはないそう。本当に「御殿」と呼ぶにふさわしい豪華絢爛な住宅です。
約1時間の見学ツアーでは「守り人」と呼ばれるガイドさんが邸宅の歴史的背景や建築的特徴をお話してくださいますので、じっくりと見学することができますよ^^
豪華絢爛な『矢中の杜』
実は昭和40(1965)年に龍次郎氏が亡くなって以降約40年間空き家になっており、それはそれは荒れていたとか。
息を吹き返したのは掃除、修復そして邸宅の活用にと活動する「守り人」の皆さんあってこそ。
今回ガイドをしていただいた「守り人」の方は、なんと片道2時間以上もかけて他県から来ているのだそう。
筑波大学に在学していた際に関わった『矢中の杜』での文化財保護活動を機に、卒業後も邸宅公開日や活動日には積極的に参加されているとのこと。
「こうした住宅が現存していることにまず驚きました。掃除をしたり修復をしていく中で新たに発見があったり、見学者さんと接することが自分の楽しみになっています」
と、お話してくださいました。
愛着をもち、大切にしたいと願う人々が集い綺麗に磨き上げられた旧矢中邸は、当時を生きているかのように訪れる人を昭和の上流階級の生活空間へと導いてくれます。
毎週土曜に開催される邸宅公開の見学ツアーのほか、イベントに利用したり、つくば市の小中学校の独自カリキュラムつくばスタイル科にて「文化財を守る活動」として活用されたりと地域のつながりも密に活動をされています。
また、「”守り人”育成講座」を開講して地域の文化遺産の保存活用、ガイド養成が行われることも。
「矢中の杜に訪れ、歴史的なものや貴重なものに触れ、親しみをもってくれたり活動に参加してくれる方を随時募集しています」とのこと。
つくばの重要な観光資源といえる『矢中の杜』
貴重な文化財を守る活動を応援していきたいですね。
是非一度訪れていただきたい素敵な場所です^^
以上、ゆうママがお伝えしました♪
【矢中の杜】
つくば市北条94-1
邸宅公開*毎週土曜日11:00〜、13:00〜、15:00〜 各回所要1時間程度
料金*500円(邸宅維持修繕協力金として)