こんにちは、つくスタ特派員ゆうママです♪
すっかり夏の気配は消え、過ごしやすくなってきた今日この頃。季節は秋ですねぇ^^
夏の間は少し敬遠してしまっていたスポーツにもまた興味ややる気が沸いてきました!
ということで、私、やる気のあるうちにと登山に挑戦してきました!!
つくばエリアで登山…といえば「筑波山」を思い浮かべる方も多いでしょうが、今回は「宝篋山(ほうきょうさん)」に挑戦してきました^^
宝篋山は筑波山麓の小田地区にある461mの低山で、年間10万人ほどが訪れているそうです。
筑波山登山は何度も経験のある私ですが、宝篋山は初めて。
ドキドキしながらいざ登山!の前に、宝篋山の歴史のお話を少々…。
宝篋山は頂上から360度のパノラマが望め、眼下には関東平野、都心の高層ビルや富士山まで見えるという眺望の素晴らしさが魅力。
「花山」とも称され、四季折々の花々が山を彩り、ピンクや紅葉に染まる様は本当に美しいです。
近年では他県からや大型観光バスでやってくる登山者もいるそうで、多くの人に愛されている人気の山ですが、実は整備が始まったのはつい10年ほど前のことなのだそうです。
昔は里山として近隣住民の生活に欠かせない山であった宝篋山。文化的な生活が普及するとともにいつしか人が足を踏み入れなくなり、ずっと荒れた状態が続いていたとか。
そんな荒れた山の整備を中心となって進めたのが、宝篋山登山の起点にある宝篋山小田休憩所の東郷重夫さん。
地域の整備ボランティアさんたちと一緒に2004年からハイキングコースの設定や整備を進め、2007年には案内所もかねた登山の拠点「宝篋山小田休憩所」を設置しました。
登山を楽しんでもらうことはもちろん、宝篋山の歴史を後世に語り継いでいくことを東郷さんは願っているそう。
山頂には「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」という鎌倉時代に建てられたとされる史跡が残され、数々の石仏や石碑もの多数点在しており、歴史的にも貴重な史跡の宝庫。
宝篋山に残る歴史を表に出していきたい、後世に伝えていきたい、そして歴史と自然がある宝篋山に親しんでもらい地域の活性化をと、登山道の整備に汗を流してきたそうです。
宝篋山の歴史を知るには「忍性」を知っておかなければなりません。
建長4年、奈良の西大寺の僧であった忍性が宝篋山の極楽寺に入寺し、関東の真言律宗の一つの中心地として繁栄させたほか、とりわけ民衆救済に生涯をささげ、療病所や浴室の開設、造路など社会福祉活動にも多大な功績を残し、人々に優しくも力強い救いを与えたとされています。
忍性が宝篋山の極楽寺に入る際、奈良西大寺より石工や大工などの集団を連れて入り、人々の祈りため、供養のため、さまざまな石仏や石碑が次々に建てられました。
それらは「歴史・文化・自然、小田地区を行く」でもレポートしたように、宝篋山を含む小田地区全体に全国的にも稀なほどに数多く残ります。
多くの史跡が残り、歴史が受け継がれてきた背景には、宝篋山における忍性の活動がとても大きな影響となっていたのですね。
中世からの数々の史跡に込められた思いや歴史を感じとりながらも、自然美のあるハイキングを楽しめるのが他の山にはそうそうない宝篋山の魅力。
まだ整備のされていない場所にはこれからさらに史跡が見つかる可能性もあるそうです!
史跡が発見されれば、新たにハイキングコースが増える日が来るかもしれませんね^^
受け継がれてきた歴史、現在に至るまでのお話を聞かせていただいた東郷さんがいらっしゃる小田休憩所は、無料で自動車が駐車可能なほか、小田地区周辺のパンフレットや登山ルート地図なども手に入る宝篋山登山の拠点。
登山中は頂上近くまでトイレはありませんので、小田休憩所に寄ってから出発するのがおすすめです^^
そして、自然だけでなく歴史にも目を向けてみると、ほかの山の登山とはまた違う感動があるかもしれません♪
ちなみに、宝篋山の「篋」とは経本を入れる箱という意味だそうです。
忍性の活動に目を向けると、なるほどと感じる素敵な名ですね^^
今回はここまで。次回は東郷さんから教えていただい宝篋山の歴史をなぞりながら登山に挑戦編をお送りします。
以上、ゆうママがお伝えしました!