どーも!やぎっちです^^
さて、前回レポートした、金田台の道草ハイクの続きとなります。
御山(おやま)と地元の人たちがいう小さな山。その中に何本も立っていた「青面金剛」の石碑。
その石碑のわきにある藪の中から、ひっそりとこちらを見つめる視線を感じました。
思わず藪の中へ入ってみると…!!!
こ、この石像は一体…!!
歴史に詳しい案内人のアヴィさんですら、この石像の役目がわからないそうです。
このような謎の石像が、つくばには金田台の他に5体、点在しているとのこと。
これが前回のブログで予告した、つくばのミステリーストーンです。
この石像、金田台の地元の人には「大日(だいにち)様」と呼ばれ親しまれています。
以下、この石像をめぐる数々の諸説をご案内します。
1、大日如来説
宇宙との関わりもあるとされる大日如来様。…JAXA筑波宇宙センターがあるのは、この石像に導かれたから?
2、猿説
つくばは、江戸の鬼門とされる場所。徳川家は筑波山に中禅寺(後の筑波山神社)を建てるなど、かなり鬼門となるつくばを意識しています。京都の日吉神社に習い、魔除けの象徴として神猿(まさる)を置いたのではないか。
3、隠れキリシタン説
手の組み方をご覧ください。祈っているようにも見えます。また鼻が異様に大きくイエスをかたどったものと推測し、ここで青面金剛を隠れ蓑として密かにキリシタンが祈っていたのではないか。
などなど、いろいろな諸説があります。
石像の上にうっすらとある溝…私は筑波山のように見えました。
そこで…
「日本史を全く知らないヤギッチが無責任に、この石像の謎の新説を説いてみよう!」
ヤギッチは、説く!
これは、三日月信仰の像であると!!
筑波山麓には「二十三夜様」と呼ばれている月読神社という神社があり、つくばには三日月信仰があったと考えらます。
この石像の左側…三日月の下に「寛永5年」と書いてあります。寛永5年は、筑波山麓の月読神社の社殿が建設された年。社殿が建設されるくらいだから、当時のつくばでは三日月信仰は流行りだったと推測できます。
ブームに乗っかったつくば市民が、このような石像を作り三日月様を崇めたのではないでしょうか。
…全然、違うかもしれないけど。無責任に言ってみました。
でも、謎はこうやって推測するところが楽しいのです♪
さて、身勝手に歴史を塗り替える新説を考えながら御山を下り、アヴィさんのあとをついて金田城跡まで歩きました。
金田台の湧水です^^ 飲めるんですよ♪
この日はジワっと暑い日だったのですが、冷たい水で喉を潤しました。
とてもやわらかいお水で美味しかった~!(>▽<)
森の中を入って、金田城跡地へ。
少し入ると…なんという情景…!
お堀の跡がはっきりと残っていて、人がここで暮らし、生活を営んでいたのだなぁと感じることができました。
でもその人々の生活を、植物の緑が覆っているのです。「儚い」というのはこういうことなのではないでしょうか…。
すっかり金田城跡地の幽玄な世界に引き込まれました。
あっという間に森を抜け、アヴィさんの案内でたどり着いたのが、旭台貝塚。
アヴィさんが突然しゃがんで、石ころを拾いました。
「これ、縄文土器です」
…ええ!!そんな無造作に縄文土器って見つかるものなの?!
縄文土器ってシャベルとかブラッシングとかして大事に発掘するものなんじゃ…。
どれどれ…と、私もしゃがんで探してみました。
しゃがんで目の前にあった陶器の破片のようなものをひっくり返すと…
縄の模様…。
「まさか、これ…縄文土器?」
どうしよう…こんなにもあっさり縄文土器が見つかった…。あまりにも簡単に、そして無造作に。
何の飾りもなく、言い切れます。
「石を拾えば縄文土器にあたる」
参加者の方も「え?これが?…縄の跡がある」と戸惑っている様子。
ほんと狼狽するほどに、あっさりと見つかったのです。
幽玄な世界の金田城跡地のあとに、むき出しの縄文時代の遺跡を楽しむとは…。
歴史とは…なんなんだ!!
金田台、実に奥が深く、面白い場所です。
以上、ミステリーハンターやぎっちがお送りいたしました♪