こんにちは、つくばスタイル特派員のかめです(゜∀゜)。
2011年4月のことです。友人が「五角堂って知ってる?」と聞きますので、
「岡倉天心のは六角堂では?」と聞けば、なんと谷田部に「五角堂」なる史跡が
存在するというのです。ぜひ見たいと思い、友人と行きました。それがかめの
「飯塚伊賀七」や「松並木」との出合いでした。
※五角堂は私有地内にあり、内部は見られませんが、外観の見学は可能です。
谷田部商店街の近くです。
「谷田部に過ぎたるもの三つあり 不動並木に 広瀬周度 飯塚伊賀七」
江戸時代にはそう言われたほど、細川興元を初代とする谷田部藩の文化は
優れたものでした。父の幽斎や兄の忠興が一流の文化人でしたので、
最先端の文化を振興するのは細川家の特徴なのかもしれません。
今回ご案内する「谷田部郷土資料館」(つくば市谷田部4774-18谷田部保健
文教センター3F)では、松食い虫にやられなくなってしまった不動並木の面影と、
江戸時代になんと自動ドアで開いたという五角堂内部にあった、自動で街に時を
知らせたカラクリ和時計の復元を見ることが可能ですヽ(´∀`*)ノ。
まずは2F窓口にて拝観ノートに記名をしてくださいね。拝観料は無料です。
※館内では写真撮影は禁止となっております。今回掲載の写真は、許可を得て
撮ったものと、つくば市からお借りしたものです。
展示は、谷田部の地層形成や谷田部で発掘された土器の展示から始まり、
中世の谷田部城主岡見氏・多賀谷氏の縄張り争いへと進みます。
懐かしの農業道具や、農家の土間からあがった昔ながらの家屋も♪
この手前にあるのが、谷田部小学校の校歌に「老松」と歌われる「千歳松」の
輪切りです。残念ながら93年に枯れてしまいました。知らなかった私と友人は、
しばらく小学校の周りをうろうろして松らしき根はあるが並木がない!と、
ご近所さんにお聞きしましたら、そうとう酷い松食い虫の被害にあってしまった
そうです。本当に残念ですね。
そして後方に見えるのが、谷田部藩主の遺品コーナーです。箪笥、鎧兜、太刀、
書画、陣羽織や軍扇もありました。
そしてこちらが江戸時代の発明王「からくり伊賀七」と呼ばれた飯塚伊賀七の
和時計です。大きいとは聞いていましたが、まさかここまでとは!当然江戸時代
ですから木で作られています。一見しただけでは、どうやって動くのかさっぱり
分かりませんでしたが、上に太鼓が乗っているのがわかりますか?これを定刻で
何かが叩いたのでしょうね~(゜∀゜)。他にも、エレキテル飛行機などを発明して
いたそうですよ!ちなみに伊賀七の本業は農業でした。名主を勤めるかたわらで、
発明に精を出していたようです。資料館では、そのノートも見ることができます。
今の時代に伊賀七がいたら、いったいどんな発明王になったことでしょう。
伊賀七にみられるように、谷田部藩は蘭学・洋学を積極的に推奨したようです。
からくり伊賀七とも親交を深めていた広瀬周度は、父子そろって杉田玄白一門に
学んだ蘭学・洋学の藩医でありながら、一方で画にも非凡な才能を見せました。
日本画のようでいて躍動感や生命力は西洋画をルーツにしているであろう周度の
天女画は、羽成観音堂(つくば市羽成1124)の天井で見ることができます。
ほかにも、戦後GHQの農地解放や、市町村の変遷の資料などが並んでいます。
皆さん、なぜつくば市役所が谷田部にあったのか不明だったと思います。
つくば市の発展は谷田部藩から始まっているからですね♪ぜひ谷田部郷土資料館を
訪ねてみてくださいね!